今回の「地図ラー的まち歩き」は千葉市のお隣の四街道。21世紀の初頭には合併に関する住民投票もおこなわれた(結果は反対多数で合併せず)身近な隣町のまち歩きです。

このまち歩きは企画から案内役まで副会長が担当させていただきました。副会長企画は「中山」「浦安」に次いで3回目、いずれもその地区の観光スポットには見向きもしない、我が道を行くものでしたが、今回も案の定でした。

一般に四街道といえば軍都。六方野、下志津原という広大な原野をもつ陸軍にとっては格好の環境でした。戦争遺跡を回るだけでもかなり密度の濃いまち歩きになりますが、当初案から四街道駅から佐倉までに点在する古城を、神ちゃまを愛でながら巡ろうというものでした。戦争遺跡は完全にスルーです。

最終的にはゴールを物井にしたため、前半は戦争遺跡、後半は古城と神ちゃまを訪ね歩くという二部構成に落ち着きました。

副会長の神ちゃま愛はハンパないです。特に道端にひっそり佇む可愛い神ちゃまが大好きで、このテーマで同人誌を書き上げてしまうほどです。そんな神ちゃま愛あふれるマニアックなまち歩き、例によって写真で振り返ってみましょう。

1~10のルートを歩きました。(国土地理地図)

集合は四街道駅。朝礼のあと、総武鉄道の開通から駅の歴史の話をしました。総勢18名でスタートです。

駅の歴史から解説スタートです。

総武線の謎のカーブは、和良比の農民の反対があって遠回りしたためです。駅の位置についても議論があったようです。(上記地図のカーブを見てください!)

四街道の名前の元になった「四ツ角」です。この地の最初の住民は福島津屋子さん。13人の人たちが住み着いて街ができました。

ここが四街道発祥の四つ角です。

四つ角周辺には最初に住み着いた方々の苗字が見られます。

戦前、四街道は軍都として重要な役割を担っていました。今でもその名残が街のあちこちにあるのです。

飛行機の燃料として松脂が取られました。その跡が残っています。

愛国学園の門も戦争遺跡です。

大砲の標的として作られた大土手山(ルボン山)です。

大土手山の階段で記念撮影。

戦争遺跡よりも三角点が気になる面々。

陸軍野戦砲兵学校の記念碑です。

秋はイベントが目白押し。色々なところで色々な取り組みがおこなわれています。

女子大の文化祭にゾロゾロ侵入。

ここからいよいよ神ちゃまを巡るゾーンに入ります。四街道から物井までには、千葉氏の居城が点在していて、まずは鹿渡城を中心とする集落を進みます。

鹿渡地区の木戸にあたるところある庚申塔と馬頭観音。

鹿渡香取神社です。

鹿渡城址の正式名が書かれた看板。残念ながら見学はできません。

小名木川がつくるスリバチは鹿渡と山梨の境界なのです。

鹿渡村と山梨村の境界には小名木川。ここにも馬頭観音様があります。

鹿渡と山梨の間に広がる田園風景です。

続いて山梨城を中心とする集落を行きます。

人呼んでおっぱいの祠。

山梨城跡は小さいながら空堀や土塁もあります。

山梨地区の中の集落の境界にある道祖神さま。

浅間神社の急階段を上がるとこんな祠が。

コンビニもトイレもない神ちゃま巡りはようやく休憩タイムです。しかし11月の日は短く、もう薄暗くなってしまいました。

物井駅近くで日没になりました。

ゴールは物井駅。近代的な駅舎ですが、周辺には商業施設が少なく、まだまだ発展途上という印象です。

さて、約4時間半をかけて歩いた四街道でしたが、千葉氏が支配していた地区で佐倉も近く年貢道も通されていたことから、お城とそれを守る神さま、そしてそこに暮らしていた人々の講や大切な馬たちを祀る馬頭観音など、狭い地区に色々なものが高密度で分布していました。神ちゃまを見ればその土地の歴史と暮らしが見えてくる、その典型がここ四街道にありました。

ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。きっと「何もない」四街道に実は詰まっていた魅力を堪能していただけたことと思います。次は物井から佐倉まで歩いてみたくなりますよね(笑)。

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