【イベントレポート】2019.11.10(日)地図ラー的まち歩き 四街道の道と神ちゃま
今回の「地図ラー的まち歩き」は千葉市のお隣の四街道。21世紀の初頭には合併に関する住民投票もおこなわれた(結果は反対多数で合併せず)身近な隣町のまち歩きです。
このまち歩きは企画から案内役まで副会長が担当させていただきました。副会長企画は「中山」「浦安」に次いで3回目、いずれもその地区の観光スポットには見向きもしない、我が道を行くものでしたが、今回も案の定でした。
一般に四街道といえば軍都。六方野、下志津原という広大な原野をもつ陸軍にとっては格好の環境でした。戦争遺跡を回るだけでもかなり密度の濃いまち歩きになりますが、当初案から四街道駅から佐倉までに点在する古城を、神ちゃまを愛でながら巡ろうというものでした。戦争遺跡は完全にスルーです。
最終的にはゴールを物井にしたため、前半は戦争遺跡、後半は古城と神ちゃまを訪ね歩くという二部構成に落ち着きました。
副会長の神ちゃま愛はハンパないです。特に道端にひっそり佇む可愛い神ちゃまが大好きで、このテーマで同人誌を書き上げてしまうほどです。そんな神ちゃま愛あふれるマニアックなまち歩き、例によって写真で振り返ってみましょう。
集合は四街道駅。朝礼のあと、総武鉄道の開通から駅の歴史の話をしました。総勢18名でスタートです。
総武線の謎のカーブは、和良比の農民の反対があって遠回りしたためです。駅の位置についても議論があったようです。(上記地図のカーブを見てください!)
四街道の名前の元になった「四ツ角」です。この地の最初の住民は福島津屋子さん。13人の人たちが住み着いて街ができました。
戦前、四街道は軍都として重要な役割を担っていました。今でもその名残が街のあちこちにあるのです。
秋はイベントが目白押し。色々なところで色々な取り組みがおこなわれています。
ここからいよいよ神ちゃまを巡るゾーンに入ります。四街道から物井までには、千葉氏の居城が点在していて、まずは鹿渡城を中心とする集落を進みます。
小名木川がつくるスリバチは鹿渡と山梨の境界なのです。
続いて山梨城を中心とする集落を行きます。
コンビニもトイレもない神ちゃま巡りはようやく休憩タイムです。しかし11月の日は短く、もう薄暗くなってしまいました。
ゴールは物井駅。近代的な駅舎ですが、周辺には商業施設が少なく、まだまだ発展途上という印象です。
さて、約4時間半をかけて歩いた四街道でしたが、千葉氏が支配していた地区で佐倉も近く年貢道も通されていたことから、お城とそれを守る神さま、そしてそこに暮らしていた人々の講や大切な馬たちを祀る馬頭観音など、狭い地区に色々なものが高密度で分布していました。神ちゃまを見ればその土地の歴史と暮らしが見えてくる、その典型がここ四街道にありました。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。きっと「何もない」四街道に実は詰まっていた魅力を堪能していただけたことと思います。次は物井から佐倉まで歩いてみたくなりますよね(笑)。