北区上中里の馬頭観音さまに会いに来ました。
訪れたのは冬の夕方で、すでに薄暗くなってきていましたが、ちょうど帰り道を急ぐ人々の日常の中でこの子に会うことができました。

ここは山手線の線路近く、(株)関東車両整備尾久事務所の土地のようです。隣には特別養護老人ホームがあり、道路向かいには幼稚園があります。

花がたくさん供えられていて、真っ赤な毛糸のべべを着せてもらい、ろうそく立てや線香立て、そしてなぜか傘までスタンバっているという、何はともあれとても大切にされている馬頭観音さま。訪れた時も、自転車で通りかかった女性がぺこっと祠へ頭を下げていました。地域の方々に大切にされている様子に、思わず感動してしまいます!

石碑を見ると、明治二十二年の文字がはっきりと読み取れます。この馬頭観音さまは、その頃にここに祀られたのでしょうか。

さて、馬頭観音さまについておさらいしましょう。

【馬頭観音】
近世以降は国内の流通が活発化し、馬が移動や荷運びの手段として使われることが多くなった。これに伴い馬が急死した路傍や芝先(馬捨場)などに馬頭観音が多く祀られ、動物への供養塔としての意味合いが強くなっていった。特に、このような例は中馬街道などで見られる。なお、「馬頭観世音」の文字だけ彫られた石碑は、多くが愛馬への供養として祀られたものである。また、千葉県地方では馬に跨った馬頭観音像が多く見られる(ウィキペディアより)

この上中里の馬頭観音さまは、どんな素性の子なんでしょうね。やはり気になるので、できる範囲でちまちまと調べます。

まずはカシミール3Dで見た、この辺りの地形です。
山手線の線路沿いに崖になっていて、南側の土地の方が高くなっているのが分かります。崖下の土地は標高約5m。崖上は標高約20m。つまり崖の高さは約15mです。

今昔マップで明治期と現在の地図を重ねてみました。
やはり、線路沿いに崖になっていますね。地形はそのままです。馬頭観音さまがいる所は道ばたで、崖へと登る道に続いています。

流通の主役が鉄道だった時代ですから、各駅からは荷車がたくさん出たのでしょう。
明治時代、この落差15mの崖を荷運びするのは、きっと大変だったでしょうね。お馬さんも大いに役立ったのかもしれません。

この先のことは分かりませんが、一生懸命お仕事をしたお馬さんがいて、その馬さんの霊を大切に祀ってあげた人間の気持ちがあった。そして、この馬頭観音さまは今でもこの地域の方々に大切にされている。なんだかほっこりとした気持ちになります。

もう少し、当時の暮らしや文化に関する事も知っていきたいなと思いました。

お礼を言って、帰路につきます。
「馬頭観音さま、写真を撮らせてくれてどうもありがとうございました。いつまでも地域の人たちと幸せにいてくださいね。」