千葉・地図ラーの会イベントにいつも栃木から遠路はるばるご参加いただいている、深澤謙吾さんが主催する「ブラフカザワ」改め「テレンコフカザワ」という歩きイベントに参加してきました。

中山道倉賀野宿から日光東照宮に至る「日光例幣使街道」を全行程踏破するという無茶振りシリーズ(笑)の第1回目は、高崎線の倉賀野駅から東武伊勢崎線の境町駅までをひたすら歩くという、文字通り「歩くだけ」のイベントでした。

まずは、千葉駅から高速バス「ちばたまライナー」で大宮に向かいます。外環が開通してからは1時間半で大宮まで行けるので、単純にJR総武快速+高崎線ではなく、バス&電車プランではるか倉賀野を目指します。

家を出てから4時間半(!)、紆余曲折ありましたが(諸般の事情で割愛)ようやく高崎の1つ前の駅、倉賀野に到着して、先着5名のメンバーさんと合流しました。こちらは今日の資料です。

感動の合流の瞬間!長い道のりでした!

その時のメンバーさんの反応は、地図界隈では最弱の脚力を誇る副会長ゆっきーが、なぜこの厳しいハーフマラソンと同距離にわざわざ挑戦するのか、そしてなぜ千葉から群馬に遠路はるばる遠征するのか、ということでした。

まぁ、そんなことは置いといて、とっとと歩き始めます。今日のコースはこんな感じです。(カシミール3D)

倉賀野駅~玉村宿

まずは序の口の約5キロ。旧中山道から例幣使街道に入り、玉村宿のランチタイムまで元気に(この時間帯は)歩きます。

五貫堀川(いい名前!)は暗渠になっています。

中山道にかかる橋は太鼓橋と呼ばれ、例幣使はもちろん皇女和宮や参勤交代の大名たちも通りました。

倉賀野古商家おもてなし館は明治時代の商家をそのまま使っている観光客向けの休憩施設です。ここでマップやパンフレットをいただきました。

ここが中山道と例幣使道の分岐点。道しるべには「従是右江戸道、左日光道」と刻まれており、傍らには常夜灯や井戸の跡もあります。


高崎線の線路を渡ってから井野川までは工場や水路が多いのです。水路は2段構造になっていて、これは正真正銘の萌えポイントです。

関越道玉村スマートIC近くには道の駅玉村宿。ここで待望の(?)ランチです。

玉村宿~五料橋

道の駅玉村宿でお腹いっぱいになったあと、利根川にかかる五料橋までひたすら歩きます。

玉村八幡宮は今日のルートのハイライト。隋神門の奥の本殿では七五三の家族がいて、子どもの笑顔で疲れを癒すことができました。

街道沿いにはこんな魅力的なレンガ建築もありました。こういうソソル建築物は道中かなりたくさんありました。

利根川の手前には日光例幣使街道2番目の宿場である五料宿。利根川の渡し場には五料関所が置かれていました。今でも道路の両側に門柱跡と古井戸が残されています。

いよいよ自分的ハイライトの利根川を渡ります。川ラーである僕にとって、利根川はいちばんエライ川なのです。

五料橋~東京福祉大学

五料橋をクリアするあたりからは空模様が怪しくなり、傘やカッパのお世話になりながら歩きます。幸い小雨で済みましたが、同じ時間帯の東京は土砂降りだったそうです。(やっぱし…笑)

柴宿本陣跡には道路まで張り出す大きな松、本陣を運営していた関根家の表札、当時の面影を残す石積みの水路が残されています。

休憩に付き物の甘いもの。豊武饅頭おいしかった~。

東京福祉大学~境町

東京福祉大学の地点でスタートから15キロ。体力勝負のラストスパートですが、ここからは日没との争いにもなりました。

遺跡三つ橋は3本の小川にかかる橋があった場所。1202年、この橋の下でハシカに苦しむ子供がいて、そこを通りかかった禅師が経文を唱えるとみるみる熱が下がったという伝説が残っています。以降この橋の下を通ってハシカを癒すという風習ができました。

「右赤城」の看板。例幣使街道はおおむね西から東に走っていますので、赤城山を左手に見ながら進むことになりますが、この場所だけは道が西に向きを変えますので赤城山が右手に見えるのです。

夕闇迫る武士橋(たけしばし)は広瀬川にかかります。橋がなかったころは「竹石の渡し」がありました。

境町駅に着いたのは日没から30分以上過ぎていました。24時間テレビをも凌ぐ感動のゴールシーンです。

この日の歩数カウントを見てビックリ!今までの生涯レコードを大きく上回り、なんと40,000歩を超えました。

副会長ゆっきーも同距離を歩き切ったのも驚愕の事実です。今までもっと短い距離も歩き切れずにワープ(俗にバスやタクシーを使って先回りする技を指す)していたのに、正直驚きました。これで最弱の脚力という汚名は返上と言っていいでしょう。

でも、江戸時代にここを歩いた例幣使一行は毎年4月1日に京都を出発して、4月15日には日光に到着しているので、1日平均40キロも歩いていることになります。倉賀野から境町は21キロですから、この倍の距離を1日でクリアしていたのですね。靴もなく、道も悪かったのに、公家の人々も強靭な脚力を持っていたのですね。

次回は境町から太田まで歩くことになっています。ただ歩くイベントですが、健脚自慢のアナタのご参加をお待ちしております。

(写真は深澤氏からご提供いただきました。)