2018年2月にTwitterに連載した記事をホームページ用にまとめ直したものです。

江戸時代初期、毎年干ばつに苦しむ寒川村の農民を救うため、布施丹後が開削したのが丹後堰用水路です。

丹後堰用水路の全貌です。赤いラインに沿って歩きます。

現在の地図です。行程の前半を示しました。(地図 Mapion)

千葉市中央区矢作町にある丹後堰公園。江戸初期にこの地から寒川、千葉寺地区に農業用水を供給するために開削された丹後堰用水路の起点です。都川に作られた堰によって集められた水が用水路に流されました。

都川です。この辺に丹後堰が作られていたものと思われます。

ここは、現かわまちモールの前(旧東金街道)で暗渠化されている部分です。

旧東金街道沿いは暗渠になっていますが、どの家にも護岸跡と思われる建造物があり、一定の高さの土台の上に家が建てられています。

明治時代のこの付近の写真です。暗渠化される前の用水路を見ることができます。

矢作トンネル近く、千葉大学病院の崖下です。用水路はこの下を通っていました。

千葉大学病院の崖下から用水路は開渠となって顔を出してきます。

用水路は千葉大学病院がある亥鼻山のふもとを走っていますが、ここには古い門が残されています。千葉医科大学附属医院という名前は戦後すぐ新制千葉大学が発足するまで使われていました。

用水路は千葉大学医学部の裏門まで開渠になっています。今は水の流れはありませんが、大雨が降るとどうなるのか、そのときに調べに行こうと思います。

用水路は千葉大学医学部の裏門を過ぎると再び暗渠になります。ここは一段高い歩道になっていますので、わかりやすい暗渠サインです。

用水路は暗渠のままここお茶の水で左90度カーブします。亥鼻山をぐるっと回るように、干ばつに苦しんでいた地域に向かって水の流れは進んでいきます。

用水路は県立中央図書館の前を暗渠のまま通過します。ここも亥鼻山の崖下にあたる場所です。このあたりには用水路から田圃に水を引くための小さい水路もいくつかあったようです。

行程の後半です。(地図 Mapion)

県立中央図書館を暗渠のまま進んだ用水路は、県立千葉高校を過ぎる辺りまでは明らかな暗渠となります。

県立千葉高校の周辺には、用水路から枝分かれして田圃に水を供給するための細い水路がいくつもありました。今はほとんどが細い路地になっています。

県立千葉高校の周辺では、用水路はもちろん、田圃に水を供給する水路にかかっていた橋の跡もあります。こういう痕跡が見つけると単純に嬉しいものです。

県立千葉高校の周辺では、用水路の暗渠で野菜を育てていました。大根が植えてありましたが、広さ的には家庭菜園と言ったところでしょうか。

大網街道と交わる辺りで用水路は再び開渠になります。流れは道路に沿っていますので、この道路沿いの家は水路に橋をかけて出入りするようになっています。

用水路は開渠のまま神社会館の前を過ぎ、ここで90度右にカーブして海に向かいます。用水路として使われていた頃は、ここで流れが分かれ、1本はさらに蘇我駅の方まで続いていたようです。

この道路の真ん中を通っている用水路は、ネズミ川と呼ばれいています。千葉常胤の家来が、この川のほとりで源頼朝の到着を、寝ずに見張っていたことから付けられた名前のようです。