【レポート】2017.3.20(祝)暗渠マニアック!+千葉スリバチ学会Ⅱツアー

先日渋谷でおこなわれた地図ナイト14で知り合った、千葉スリバチ学会の会長・稲垣さんからお誘いいただき、「暗渠マニアック!+千葉スリバチ学会Ⅱ 吉村生さん・髙山さんと歩く庄司ヶ池排水路 暗渠ツアー」に参加してきた。

地図2

JR津田沼駅に集合する同志たち

1.最初のルート

JR津田沼駅を出発して、地図1でいうと津田沼駅のすぐ上の前原西の辺りから、青くなっている低地部分をたどり習志野電車区から奏の杜、谷津5丁目に至るルート。

この部分がなぜ低くスリバチ状になっているかというと、地図2にある庄司ヶ池があったから。今は池はないんだけど、津田沼駅の上から池があった場所にかけて暗渠になっていた川の痕跡もあり、そこはハッキリ周辺よりも低くなっている。

祭日で賑わう津田沼の街中を、35名を超える異様な集団が進む。みんな、上を見たり下を見たり、坂があると立ち止まり写真を撮り、マンホールや道標をじっくり眺めている。こうして普通の人だったら通り過ぎるような場所に何かを感じるのがスリバチ学会の真骨頂なのだ。

千葉・地図ラーの会は会長・副会長ペアで参加したんだけど、もう二人ともツボに入りまくりで困った。もちろん地形の謎に迫るのは過去に例がないほどすごく楽しいんだけど、メンバーの皆さんの怪しい(笑)行動もかなり面白い。ま、人のことは言えないけど…。人によって立ち止まり興味を惹かれるポイントが異なるのも風情がある。地形好きとはそういうものなんだろう。

庄司ヶ池は谷津五丁目の整備された住宅街で終わるんだけど、ここから先は堆積物でせき止められていて海までのルートはハッキリしない。でもきっと、そのまま谷津干潟に向かって流れていたことは想像できる。

ヨーカドーの前でのコース説明は吉村生さん

民家の間の路地を歩く

奥に見える坂道からして、ここはスリバチ

ここはハッキリわかる暗渠のあと

庄司ヶ池の説明

ところどころにスリバチがある

谷津五丁目は坂道ばっかり

2.2番目のルート

次は昭和放水路をめぐるもの。昭和放水路とは昭和初期に利根川の水を東京湾に流そうという国家プロジェクトで、終戦前には中止されたものの、今でもその痕跡が数多く残っている。

スタート地点の県立船橋高校グラウンドは地図1の東船橋(五)の上の部分で、四角く低い土地になっている。ここが運河になる予定で掘削されていた場所、つまり人工のスリバチというわけだ。

ここからは谷津干潟に向かって低くなっている場所を進む。昭和放水路になる予定だったところだ。そして京成電鉄と14号を超えたところで、一行の歩みは止まる。民家のすぐ隣に、コンクリートの巨大な橋脚があるからだ。ここは14号と成田街道が交差する地点にある京成電気軌道架替工事橋脚の跡。今は14号と京成は地上を並走する形になっているけど、昭和放水路の計画では道路も鉄道も橋の上を通すことになっていたそうだ。

その橋の跡がここにあるというわけ。そこにお住まいの方にも特別に許可をいただき、話を聴かせていただくとともに、橋脚の上に登らせてもらうこともできた。(副会長が軽やかに上り、会長は静観…笑)

そして一行は谷津干潟に歩を進める。干潟に入る直前にある小さな流れが今日のゴール地点だ。ただ、細い川のようなものが谷津干潟に注ぐ地点、ここに惹かれているのが今日の講師役をしていただいた「暗渠マニアック」の著者・吉村生さん。

ここが船橋高校のグラウンド

内務省が設置した道標

京成電気軌道架替工事橋脚

橋脚上はこんな感じ&上った人々

登ったはいいけど、降りるのはちと大変

谷津干潟へと続く排水溝

ここに、河口の魂が宿っているのだ

その名言が「このちっぽけな暗渠には、河口の魂が残っている…

つまり、せき止められた庄司ヶ池の流れが海に注ぐ河口になるハズだった場所であり、昭和放水路が海に注ぐ河口になるハズだった場所が、このちっぽけな暗渠なのだ。

なぜこの場所が河口として設定されたのか、違う場所でも良かったはず。見えない力、つまり河口の魂が宿っている場所だからこそ、ここでなければならなかったのだ。

谷津干潟に出た!

本日のルート(画像お借りしました)

僕も地図ラーである前に、川ラーでもある。そう思うと、日本全国の河口は、偶然そこに川が注いだものではなく、河口の魂に導かれて川が選んだ場所とも言える。

いやー、地図ってホント深いなぁ。ますますハマリそうで怖い、いや、コワ楽しい。

Follow me!


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)