七福神めぐりのレポートは別ページにてご覧いただくとして、ここでは地図ラー的な思いをちょいと書いてみようと。

七福神めぐりのルートはこちら。

そもそも深川地区は、江戸時代の明暦の大火以来、木場という役割で発展してきた。富岡八幡宮の門前町という発祥と、火事が多かった江戸に材木を提供するということで、大いに賑わっていたそうだ。江戸っ子気質の辰巳芸者というのもこの界隈のことだ。

今回の七福神ルートの途中で越えた小名木川は、徳川家康が江戸幕府を開く直前に行徳の塩や各地の物資を運ぶために掘削され、その後は成田山や鹿島神宮への水運、そして材木の運搬に使われた。それ以外にもこの地区には運河が多く、流通拠点として財を成した商人たちが大きな繁華街として発展させていったそうだ。

七福神が安置されている7つのお寺や神社もそうなんだけど、歩いている途中にこじんまりした寺院や神社をいくつも目にした。関東大震災や東京大空襲で壊滅的な被害を受けながら、やはり歴史ある街、そういうものはしっかり受け継がれているようだ。

昔の深川区、今の江東区は、縦横に走る運河と昔ながらの街並みが素敵なところなのだ。

僕にとってこの地区は、小学校のときに習ったゼロメートル地帯(ホントここには近づいちゃいけない、危険だと植え付けられた)であり、木場の水路で男たちが材木に乗って足で回すようなアトラクションが印象的な場所。その後、縁あって門前仲町が職場となり18年間この街にお世話になったんだけど、とにかく昔の花街の名残りなのか、異常なほど飲み屋が多い。呑ん兵衛の僕が長年通った街なのに、ついに制覇することはできなかった。

こういう伝統ある賑わいは凄く気持ちいいものなんだけど、今回のルートで通過した清澄白河は自分的にはアンマリという気持ちだった。お洒落なカフェやスイーツのお店が多く、色々なメディアで紹介されたために若手女子を中心にこの街を訪れる人が増えたようだけど、深川江戸資料館や清澄庭園、水の都・江戸といった雰囲気が失われるのではないかという心配もある。もちろん街を活性化させることは必要だし、歴史ある街という印象が薄れることはないのかもしれないけど、やや無理矢理感は否めない。そういう僕もカフェに寄ったし、スイーツも食べたのであまり大きな声では言えないけど…。

この地区が発展したのは、地下鉄の存在が大きい。昭和30年代までは都電があり、門前仲町は東京駅から永代通りを走る路線と、清州橋通りを走る路線が交差する要所だったけど、都電が廃止されてからは東西線のみとなってしまった。その後、都営新宿線が森下を走り、大江戸線が森下と門前仲町をつなぐまでは、都電時代のような便利さは失われていたはずだ。

僕は神田で生まれ育ったこともあって、三丁目の夕日のような昭和の下町は心に刺さる。子供の頃の一時期はピカピカの高層マンションみたいな近代的なものに憧れたけど、下町には下町の良さがあり雰囲気があり、それは何ものにも代えがたい。こういう感覚とともに歴史と伝統を後世に残すことは大切なことなのだ。

今まで、深川界隈をじっくり歩いたり考えたりしたことはなかったけど、神田や浅草とも似た雰囲気であり、歴史がそのまま受け継がれた街。今度は地図を片手に、昔の深川に思いを馳せながらノンビリ歩いてみよう。また違う発見や思いが出てくることだろう。深川とは、地図ラーに刺さる、もっともっと深く楽しめる街だ。